【街角レポート】3/26(火)東久留米、旧跡めぐり。by青木崇
どうも、フルートです。
桜も開花しまして、暖かい陽気が続いております。
本日も絶好の散歩日和ということで、散歩がてら東久留米にある旧跡をレポートしてきました。
まずはこちら、黒目川沿いにあります大圓寺の前からレポート。
大圓寺自体も古くからありまして、それ自体が旧跡なのですが、今回の目的は別にございます。
それが、
馬頭観音塔
こちらの馬頭観音様、近隣の方からは通称『五里五里馬頭(ごりごりばとう)』と呼ばれて親しまれているそうなんですが、一体何故そう呼ばれているかおわかりでしょうか?
横の立札に由来が書いてありました。
こちらの馬頭観音様、標識のように『東 板橋 五里、西 八王子 五里、南 江戸四谷 五里、北 川越 五里』と刻まれているそうで、そのことから『五里五里』『馬頭』と呼ばれているんだそうです。
東久留米が江戸時代から宿場町としての役割を持っていた証拠の一つなんですね。
そしてもう一つ、大圓寺から黒目川をさかのぼるように歩いて5分程したところにも別の旧跡が、
供養塔
黒目川にかかる三つの橋、曲橋(まがりばし)・落葉橋(おちばばし)・中橋(なかばし)を作った時の石橋供養塔で、明治23年(西暦1890年)に作られたものだそうです。
この供養塔の前には、
こんな石が三つありまして、これは力石(ちからいし)と呼ばれているそうです。
当時小山村と呼ばれていた周辺の若者が力比べのために持ち上げ、この石を持って坂道を登り、競争していたとも言われているんだとか。
右端にある大きな石には四拾五貫(約169㎏)と、その重さが刻まれております。
自分もレポート中に持ち上げようとしましたが、全く上がらず...というか地面アスファルトと同化してません?
まぁ史跡を勝手に持って行かれちゃ困りますからね、そりゃそうか。
そしてそして、最後に訪れた場所は自転車で西に20分程移動したところにございます。
こちら、前沢南公園。
辺りが暗くなってきたので、なんだか不気味な写真になってしまいましたが、実際に行くと散歩している人なんかもいてとっても良い雰囲気の公園です。
その前沢南公園の奥、
なんだか大きな円形が地面に。
ミステリーサークル...ではありません。
これこそ目指していた旧跡を示すものなのです。
北多摩陸軍通信所跡
この場所には西暦1933年から1945年まで陸軍の通信所がありまして、先程の円形は、通信所の防火水槽の名残なんだとか。
今では近隣の方の散歩コースが、昔は軍事施設だったなんて、なんだか不思議ですね。
紹介した以外にも、東久留米には史跡や旧跡が沢山あります。
皆さんも散歩がてらご覧になってみてはいかがでしょうか?
東久留米の史跡・旧跡・文化財については↓(東久留米市HPが開きます)
http://www.city.higashikurume.lg.jp/shisei/profile/bunkazai/1002394.html
by青木崇